アルバム:Nothing But The Best(シナトラ、ザ・ベスト!)
アーティスト:FRANK SINATRA(フランク・シナトラ)
アーティストについて
FRANK SINATRA(フランク・シナトラ)は、20世紀アメリカを代表するポピュラー歌手であり、俳優としても多くの功績を残したエンターテイナーです。1915年にニュージャージー州ホーボーケンでイタリア系移民の家庭に生まれた彼は、少年期にラジオで聴いたビング・クロスビーに憧れ、歌手を志しました。1935年に「ホーボーケン・フォー」として活動を始め、1939年にハリー・ジェイムス楽団の専属歌手としてメジャーデビューを果たします。
その後トミー・ドーシー楽団への移籍を経て、シナトラの人気は10代の女性を中心に急上昇し、戦時中には「ボビーソクサーのアイドル」として爆発的な支持を得ました。彼の特徴的なクルーナー・スタイルは、マイクの特性を最大限に生かした繊細かつ情感豊かな歌唱法であり、マイクを楽器のように扱う革新性も注目されました。
シナトラは1940年代から映画にも進出し、1953年の『地上より永遠に』ではアカデミー助演男優賞を受賞し、俳優としても高い評価を得ます。キャピトル・レコードと契約を結んだ1950年代には、『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』や『君微笑めば』、『アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン』など、数多くのスタンダード・ナンバーを世に送り出しました。また、編曲家ネルソン・リドルとのコンビはアメリカ音楽史上屈指と評されています。
1960年代に自身のレーベル「リプリーズ・レコード」を設立し、芸術的にも商業的にも成功を収め続けました。1966年には「夜のストレンジャー」が大ヒットし、初のグラミー賞を受賞。1969年には『マイ・ウェイ』が大ヒットし、以後の代表曲となります。この他にも『ニューヨーク・ニューヨーク』や娘ナンシーとのデュエット『恋のひとこと』も広く知られています。
シナトラはまた、反人種差別や公民権運動にも積極的に関わり、サミー・デイヴィスJr.やLOUIS ARMSTRONG(ルイ・アームストロング)など黒人アーティストとの共演や支援を通じて、公正な社会を目指す姿勢を示しました。
1985年にはそれまでの音楽的な活動の功績が称えられ、ロナルド・レーガン大統領から大統領自由勲章を授与されました。1993年には『Duets』をリリースし、STEIVIE WONDER(スティーヴィー・ワンダー)やU2のボノらとの共演で話題を呼びました。
1998年に82歳で亡くなったシナトラの訃報は、世界中のファンや著名人から追悼の声を集めました。彼の青い瞳にちなんで、エンパイア・ステート・ビルは青くライトアップされ、ラスベガスのネオンも一斉に消灯されました。シナトラはその音楽と生き方を通じて、多くの人々の心に永遠の「ザ・ヴォイス」として刻まれています。
1 | Come Fly With Me |
2 | The Best Is Yet To Come |
3 | The Way You Look Tonight |
4 | Luck Be A Lady |
5 | Bewitched |
6 | The Good Life |
7 | The Girl From Ipanema |
8 | Fly Me To The Moon (In Other Words) |
9 | Summer Wind |
10 | Strangers In The Night |
11 | Call Me Irresponsible |
12 | Somethin' Stupid |
13 | My Kind Of Town |
14 | It Was A Very Good Year |
15 | That's Life |
16 | Moonlight Serenade |
17 | Nothing But The Best |
18 | Drinking Again |
19 | All My Tomorrows |
20 | My Way |
21 | "Theme From New York, New York" |
22 | Body And Soul |
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